キリスト教の歴史を物語る、建造物が多く残されている 。
ルネッサンス期の建物は、堅牢な石という材質を使っているため
何百年の時をへだてても、過ぎ去った時代の空気のなかにいる
ような気分になる。
とりわけ現実の喧噪から離れた、人気のない路地のなかで
教会から打ち鳴らされるの鐘の音を聞くと…
中世の世界に迷い込んだかのような錯覚におちいる。
そんな空間に立ちながら日本のことを思った。
以前、京都の古い木造の民家が並ぶ細い路地や、
田園の風景のなかの立ったときに、聞いた古刹の鐘の音と
感じるものが違うのはなぜだろう。
日本人の美意識のなかに「ものの哀れ」がある。
「ものの哀れ」とはいうまでもなく
『祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり』
無常である。
常なるものはこの世にはない…。
この日本人の意識を形成した根底の一つに
四季という自然の移ろいがある。
永遠なるものはない。絶対なるものはない。
いまある苦しみも、永久に続くものではない。
そして私たちをとりまく世界は
常に変わりゆく…。
イタリアの中世の世界をそのままに残した、堅牢な石造りの
街並みの中に、日本人であることをあらためて意識した。
イタリアから日本に帰ったその日…
ふと見上げた小さなガラス窓の向こうに春の光りを受け
キラキラと輝きながら散ってゆく無数の桜の花びらがあった。
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