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[ 神々とのコンタクト ]

神秘の島といわれるバリでの光景。
ヒンドゥー教徒たちが神への供物を頭に乗せ寺院に向かう。
背筋を立てた彼女たちの頭には鶏の肉、果物などが乗っている。

行列のうしろには楽器を鳴らす奏者がつづく。
その音色はこの島の原色の植物のように濃く、艶やかだ。
寺院に着いた彼らは供物を捧げ、頭に聖水をかけ音楽とともに舞いやがて陶酔の境地にいざなわれていく。
こうした儀式で彼らは神に通ずるのだという。
人間の精神の原風景がここにはある。

そんなの情景を見ながら 日本人はますます神という存在から遠くなったと思った。 それは自然と人との距離が遠くなったからだろう。
荒廃した自然のなかでは神々は存在しない。

かつて人の生業は自然のなかでの生業であった。
自然は時に人に対して牙をむき、時に豊穣の恵みをもたらした。
だから人々は自然が味方してくれることを切に願った。

そうした営みのなかで人は自然から思想、『 生きる術そのもの 』を学び育んだ。 だからこそ人は自然のなかに、神という超越した存在をつよく意識した。神が人を造ったのではなく、自然と向き合う人の心が古代の神々を創造したのだった。

神秘というものに対して否定的な立場の【 科学 】であろうと、肯定的な古代人の【 意識 】であろうと、それらはともに人が自然という宇宙から学んだものであり、【 想像 】と【 事実 】の結晶なのである。

荒廃した自然の中では想像力は育たず、事実の確認もできない。
そんなことを思うのも、この島に吹く風と音楽のせいだろうか。


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