ホームページ エゴグラム なんでもQ&A 気になる症状と悩み ご利用にあたって
ホームページ フェアリー 原因から治療する 命にかかわる病気 老眼の特効薬
ヌメロロジー 子供のこころと体 医療エッセイ プロフィール

原因から治療する
4 患者さんにとって重大な病気とは
4 同じ病気でも治る人と治らない人の違いは
4 病気を癒す力は
「肉体」「心」「感謝」だ
4 脳の中に元気のもとをつくりだす
4 人間の脳には「安定化装置」が働いている
4 今は脳の安定化装置が揺らいでいる時代
4 心理療法で自分の「問題」に気づかせる
4 よい医者はていねいに自分のことを教えてくれる
4 これだけ知ればあなたも病気がわかる
4 病気を理解するための簡単な方法
4 こうすれば病気のシステムが理解できる

心理療法との併用で病気のもとから癒される

患者さんにとって重大な病気とは

私は脳外科の医者ですから、肩から上にある"頭(脳)"に関する、さまざまな病気の診断や治療を行っています。
もちろんそこには、重大な病気を抱えた患者さんから、本来は医師を必要としない"病気まがい"の患者さんまで、さまざまです。
本文のほうでも書きましたが、激しい頭痛を訴え、外来を訪れる患者さんの90%以上は、心因性によるもの。
検査をしても、異常はどこにも見当たりません。もちろん、手術などの処置は不必要です。外来を訪れる患者さんで、手術が必要な方は、ほとんどいらっしゃらない、といってよいほどなのです。

つまり、このような患者さんは、心が何かしらの原因で疲れているために、頭が痛くなるのです。
さらに、頭が痛くなるので、心もさらに疲れてくる、それでまた頭が痛くなる。このような悪循環を繰り返しているのです。
頭痛に激しい肩こりが加わることがあります。こうなると、毎日の生活も憂鬱です。気持ちは悪いほう、悪いほうへと傾き、積極的な意識を持つことができなくなってしまうのです。「心因性なら問題なのではないか。手術の必要もないのだし、あとは、本人しだいではないか」。そう思われる方もいらっしゃると思います。しかし、ご本人はとても辛いのです。

肩こりがひどい患者さんが私のところにやってきました。頭痛も激しいというのです。
さまざまな検査をしましたが、異常はどこにも見当たりません。
ここまで読んできた読者の方なら、この患者さんは、心因性によるものだということが、おわかりいただけると思います。
私はこの患者さん(28歳、女性)に、心理療法を試みました。
その結果、心の深い部分にある、心のキズが原因であるとわかったのです。
それは、失恋と中絶でした。彼女は、とっくの昔にそのことを清算し、忘れようと努力をし、自分ではそのイメージから脱出し、克服したと考えていたのです。しかし、本当の心は、まだ傷ついたままだったのです。
そのことに彼女が気付いたとき、実は激しい肩こりと頭痛から解放されるきっかけをつかんだのです。
何度か通院しているうちに、彼女の肩こりはウソのように解消しました。そして、激しい頭痛もなくなりました。
このときの彼女の、明るい笑顔を見て、私はとてもうれしくなりました。
彼女ばかりではありません。単なる肩こりが治り(もちろん、患者さんと協力して克服したものばかりですが)、明るさを取り戻して患者さんが病院を去るときほど、医者としてうれしいことはありません。

クモ膜下出血の手術をして、命を取り戻し、患者さんやその家族の方々から喜ばれることがあります。
これももちろん、医者としてはうれしいことです。しかし、誤解を恐れずにいいますと、肩こりを治すことも、それと同じように、ときには、それ以上にうれしいことが多いのです。
現実には重大な病気とそうでもないもの、緊急を要するものとじっくりと気長に治していくものとがあります。
しかし、単なる心因性の肩こりが、その人の人生そのものを重苦しいものにしているのなら、これも重大な病気ということができるのです。

同じ病気でも治る人と治らない人の違いは

医者は病気を治すものです。
医者が病気を治せなくなったら(もちろんすべての病気を治せるわけではありませんが)、その人は医者とはいえないでしょう。
しかし、このことは、半分正解ではあっても、半分は間違っています。
なぜなら、実は、病気を治すのは、医者ではなく、患者さん自身なのです。医者は単なる手伝いにすぎません。
ここでは、病気が治る患者さんと、治らない(治りが遅い)患者さんについて考えてみましょう。

中学校の始めのころに、X軸とY軸を使ったグラフを習いましたね。それを思い出してください。まず、横軸をX軸にし、これを肉体の軸とします。一方はY軸、これは心の軸と考えてください。
私たちは一般的に病気を横の軸だけでとらえようとします。
つまり、病気になる、あるいは病気がよくなる(悪くなる)というのは、X軸上の移動ということになります。
「ああ、ここまでよくなった。しかし、別のところが、また悪くなった」。X軸上でのプラス、マイナスの移動で判断しようとするのです。
しかし、この限りにおいては、医者も患者さんもX軸上だけの永遠の追い駆けっこです。本来的な意味で、病気はこれでは、治りません。いかに画期的な新薬が開発され、手術・治療の技術が向上したとしても、無理なのです。
病気の中には、病気とうまく共存していくものもあります。このような人たちはやはりX軸上では病気です。
しかし、彼らは不健康なのでしょうか。いや、けっしてそうではありません。
例えば、ガンの末期のはずなのに、どうみたって元気な患者さんが存在します。
逆に、検査をしてもどこも悪くないのに、生きているのか死んでいるのかわからないような人もいます。

ここで、病気を考える場合、どうしても必要になるのが、心(あるいは精神)なのです。
これを縦にとるY軸であらわします。(このY軸は、治療が必要な精神的な病気を含みません。普通に私たちが心と呼んでいる、そのものです。)
前述のガンの人は、肉体的にいうと不健康ですが、おそらくY軸、つまり、心の部分が大きいため、結局、X・Yでできる四角形の面積が大きくなります。一方、逆に肉体的には健康でも、Y軸の値が小さい人は、この四角形の面積は小さくなります。
「病は気から」「心の持ちようで、すべては変わる」といわれます。常に心がマイナス傾向にあると、病気はなかなかよくならないものです。いつも悲観的に考え、取り越し苦労をし、本当はもっと重大な病気なのではないかと不信をつのらせる。これでは、治る病気も治らないばかりか、新たな病気を呼び込んでしまっても不思議ではありません。
このような精神状態にあるとき、例えば、ちょっとした痛みであったとしても、大きな痛みとして感じてしまいます。
その結果、苦痛は増大し、さらに医師の診断に迷いを生じさせることもなきにしもあらず、なのです。
こうなると、病気がよくなるどころの話ではありません。

一方、常にプラス思考で考えている人は、病気の回復も早いものです。
「この病気は絶対によくなる」
「みんながよくなるように協力してくれている」
「私がなった病気なのだから、先生の支持にしたがって私が改善することができる」
こう信じることが、なによりも力になるのです。
このようなことは、科学的に証明できるかといえば、実はそうではありません。
しかし、多くの医師が、このことを経験的に実感しています。ひょっとすると、細胞を勇気づける、何かしらの物質が関係しているのかもしれません。

話は違いますが、例えば、サイフの中に100円玉が1個入っているとしましょう。
そこで、「100円しかない」と感じるか、「100円もある」と感じるかによって、その人の表情や実際の行動がまるで違ってきます。
「100円しかない」と感じる人は、絶望感と悲壮感を漂わせているかもしれません。
一方、「100円もある」と感じる人は、明るさに包まれていることでしょう。
心と体にとって、どちらがよい影響を及ぼすか、どなたにでもおわかりいただけるのではないでしょうか。

病気を癒す力は「肉体」「心」「感謝」だ

私は医者ですから、科学を信じています。
迷信やいかがわしい宗教に興味はありません。しかし、科学だけでは解決できないことがあるのです。
科学だけを信じる人は、科学という宗教にこりかたまり、ほかのものに対して排他的になるものです。
これでは、人間としてどこかいびつではないでしょうか。

繰り返しますが、私は科学を信じています。しかし、それだけが絶対であるとは考えていないのです。
私はいわゆる"科学教"を認めないのです。
科学だけを信じているのなら、先に紹介したX軸だけで十分です。
そこでY軸を加えましたが、実は、それでもまだ不十分なのです。私は、X軸とY軸がつくる平面のその奥に、立体として機能するZ軸があるように思っています。このZ軸とは一体何でしょうか。

いろいろないい方がありますが、日本人がいちばんピンとくる言葉、それは「感謝」です。
何に感謝するのか。私たちを人間としてこの世に送り、人間として成立させてくれている何かに対する感謝です。
これは、人それぞれ、なんでもよいのです。
ある人にとっては神、またある人にとっては宇宙を宇宙たらしめているもの、両親・恋人・自然、何でもよいのです。
そのものすべてに感謝する。常にどんなことに対しても、たとえ、それがマイナスなことであったとしても、すべてを受け入れ、感謝の気持ち(ありがたい)を抱く、それが、元気を発するエネルギーになると思います。

元気というのは、「もとの気」と書きます。
これは宇宙全体を形作るエネルギーの根源ということでしょうか。
ともかく、肉体(X)、心(Y)、感謝(Z)、この3つによって立方体が形成されます。
原点0から、この頂点へのベクトルこそが「元気」で「健康」ということができます。
いいかえれば、体積が一定以上であることが「元気」、といえるようです。

感謝の心を忘れて、いつも不平不満ばかりいっている人、人の欠点だけをあげつらい、自分を省みない人、人という文字のように、人は人同士で支え合っているということを理解しない人、自分1人で生きていると考えている人、他人からの無償の行為に無自覚で、当然の権利として主張する人、自分を大切にしない人などなど。
感謝の心を忘れ、元気のエネルギーを発することのできない人には、1つの病気がよくなったとしてもまた別の病気、その病気が完治しても、また次の病気というふうに、新しい病気をかかえ、または過去の病気をぶりかえして、何度も病院を訪れる人が多いのです。これも、また事実なのです。

繰り返しますが、たとえ肉体(X軸)がダメでも、心(Y軸)と感謝(Z軸)で、「元気」は維持できるのです。

脳の中に元気のもとをつくりだす

さて、「心」というのは一体何なのでしょうか。また、「心」はどこにあるのでしょうか。
実は、詳しいことはまったくわかっていません。
ただ、人間の脳幹部と大脳の間に、記号的に名付けられた、Aの10番目の神経「A-10神経」という部分があります。
これが、どうやら、私たちの感情や思考をつかさどっている「心」ではないか、と推測されています。

ここに、いま話題になっているβ-エンドルフィンやドーパミンという物質が関係するといわれています。
β-エンドルフィンを人工的につくるとモルヒネになります。このβ-エンドルフィンが、「A-10神経」の中に分泌されると、「幸せ」になります。ドーパミンを人工的につくると覚醒剤になります。ドーパミンには、「がんばるゾ」という気持ちを強くする作用があります。ただし、脳の中でつくられたβ-エンドルフィンもドーパミンも、人工的につくられたモルヒネや覚醒剤のように副作用や依存症はありません。必要なだけつくられ、不要になったらすぐに分解されるからです。
まだまだ、人工的なものは、百害あって一利(理)なし、ということになります。

話を変えます。1856年、ドイツのネアンデルタールの石灰洞から、原生人類と原人の中間に位置するといわれる頭蓋骨が発見されました。
地名から、これはネアンデルタール人と呼ばれ、原始人類、旧人といわれるようになりました。
その後、同種のものが、ヨーロッパや小アジアの各地で発見されました。
1950年代になってから、北イラクのシャニムダールというところでも、ネアンデルタールが埋葬されたお墓が発見されました。ただ、骨が見つかったのではなく、埋葬されていたことで話題になりました。

「埋葬」とは一体、原始人の心にどんな変化が起こったことを意味しているのでしょうか。
おそらく彼らは死というものを、認識しはじめたのに違いありません。
しかも「仲間の死」という意識が生まれたのでしょう。
仲間の死は、同時に生きている自分にも、いつか死が訪れることを教えてくれます。
そして、死の先にあるものを考えるようになります。
私たちになじみのあるイヌやネコは、仲間の死者に対し、万一、悲しむことはあったとしても、埋葬することはできないし、何かを"手向ける"ことはしません。
これを進化といってよいのかどうかはわかりません。でも、サルからヒトへの進化の中で、私たちは、おそらく埋葬し、そして"手向ける"ことを学んだのです。
そのお墓から花粉が発見されています。
この花粉は、そこに自然に発生したものではなく、あきらかに仲間が手向けたもの。
死を悲しんでいたのかどうかは、いまでは知ることはできません。死者が何か別のものに変わるということで、祝福したかもしれない。

しかし、いずれにしても、そこには死というものを意識した人間、さらにその死者に対する優しさの表現(埋葬し、花を手向けるといった)の存在を窺い知ることはできるのです。
このことは、ネアンデルタール人に「心」があったことを我々に教えてくれます。
そのとなりの45000年前の地層から、今度は腕に骨折がある人が埋葬されているのが発見されました。
この骨折は、自然に治癒したことが、骨の状態からわかりました。
しかし、彼が腕を傷めていたとき、おそらく、食料や荷物を運ぶことはできず、日常生活は、かなり不自由なものだったはずです。
動物なら、そこですぐに死が待っています。ところが、彼は埋葬されるまで生き延びている。
このことはおそらく、ほかの仲間が彼に代わって仕事をしたり、サポートしていたりしていたことを教えてくれています。
階級的に上の人であったかどうかはわかりません。
しかし、傷つき、不自由な人間をケガが治るまで、一時的なことであれ支えた人間がいたのです。
ここにも、「心」の存在を見ることができるのです。

人間の脳には「安定化装置」が働いている

人間の脳は、6万年前から、とても大きな進化を遂げています。
おそらくそれは人間が「心」を持ってから急速に進化したと言ってもいいすぎではないでしょう。
とくに、大脳にある新しい皮質、いわゆる大脳新皮質の発達には目を見はるものがあります。
サルやイヌ・ネコに比べて、その大きさが異常なほどです。逆にいうと、大きくなりすぎたために、非常にバランスが悪くなってきた、ということもできるのです。

そこで、どうやら人間の脳には、バランスをとる装置があるのではないか、いや、確かにあるらしいといういうふうに、最近、研究者の間でいわれるようになってきたのです。
これが、「脳の安定化装置」と呼ばれるものです。

ちょっと難しくいうと、この「脳の安定化装置」には、内因性と外因性の、2種類の安定化システムがあると考えられています。
内因性の安定化装置とは、脳の内にあります。
外因性の安定化装置とは、脳の外にあります。
これらがどのような関係にあるのか、簡単に説明してみましょう。
内因性、外因性の場合も"気持ちよさ"がキーワードです。

内因性の安定化装置というのは、例えば、ここに1つの水の入ったコップがあると仮定します。
サルやイヌ・ネコなどの動物の場合、これを飲むか、飲まないか、2つに1つの選択です。
つまり、喉が渇いているので飲んだほうが気持ちいいか、あるいは、水分は十分に足りているので、飲まないほうが気持ちいいか、という二者択一です。
一方、人間は、飲む・飲まないのほかに、冷蔵庫で冷やしてあとで飲もうとか、お湯にしてからお茶として飲もうとか、絵の具の筆をこの水で洗おうとか、いろいろな選択肢が待っています。
しかし、実際にとれる行動は1つです。
そこで、その中でいちばん気持ちがいい(心が安定する)選択肢を選ぶわけです。

外因性の安定化装置は、道徳や規範、社会通念や慣習などによって決まります。
打ち水を打っているとき「道を歩いている人に、この水を引っかけてやると、さぞ気持ちよいだろうな」と考えても「もし、それをしてしまうと水をかけられた人は、怒るに違いない」。
あるいは「ほんとうはこうしたいのだけれど、やってしまうと法に触れる」など、したい行動に、道徳や規範、社会通念や慣習などがブレーキをかける。
つまり、この行動を起こすと"気持ちは良い"が、そのあとのことを考えると、罰などの苦痛が待っている。
だから、結果的には、行動を起こさないほうが"気持ちがいい"として、脳を安定させるわけです。
これが、外因性の脳の安定化装置です。

今は脳の安定化装置が揺らいでいる時代

脳の安定化装置は、先に紹介した「A-10神経」の中に備わっていると考えられています。
さて、この安定化装置をグラグラに揺らし、不安定にしてみたらどうなるでしょうか。修行僧を例にとってみましょう。

彼らは、内因性の安定化装置をはずすために、苦行を行います。食べない、眠らないといった苦痛を自らに課します。
外因性の安定化装置をはずすためには、山にこもるなど、外界との接触を絶ちます。
このような状態を続けると、両方の安定化装置はグラグラに揺らぎ、ある限界に達すると神秘体験をします。悟りを得たり、神や仏に会ったりといった、普通では考えられない、ある種の幻覚を見るのです。
このときどうやら、脳の中にセラトニンという物質がたくさん分泌されているらしいのです。

その後、安定化装置は、再度、"安定化"します。そのとき回路が少しズレてしまいます。このズレによって、善になったり、悪になったり、内部的・外部的(あるいは、普遍的?)な評価が生まれてくるのです。
修行僧たちは、このような経験をうまく利用しています。幻覚を体験した僧侶たちはには、しっかりと経験を積んだ先輩たちが、上手にフォローし、それをケアして善の方向に導くのです。

しかし、困ったことに、こうしたやり方を素人が悪用(本人はそうは思っていないところが問題ですが)することがあります。きちんとした知識がないにもかかわらず、周囲と隔絶させ、強引な苦痛を与え、覚醒剤やまやかしの理論、説法でこのような過程を悪用する。これが、いわゆるマインド・コントロールです。
私たちは21世紀を目前に控えています。ところが、脳の安定化装置はかなり揺らいでいるのです。近代の文明はさまざまなストレスによって、脳の内因性の安定化装置を狂わそうとしています。
一方、外因性の安定化装置はどうでしょうか。

地震など大きな天変地異が起こりました。医者は利害関係から、まったく関係のない人や、あろうことか自分の子供まで殺してしまいます。
専門家や行政のトップは、薬害を放置し、多くの人に死や死の恐怖を与えています。
弁護士は白を黒、黒を白と言い、正義を無残に切り裂いています。
政治は混乱し、国民不在のまま理念そのものを失っています。

世紀末といわれています。この時代に生きる私たちの「心」は、知らないうちに「内」と「外」から揺さぶられ、不安定になっています。
しかし、私に言わせれば、これは1つのチャンスだと思います。善い方向に向かうのも、悪い方向に向かうのも、私たちの"意思"1つなのです。
この時代は、まさしく千載一遇のチャンスなのです。

心理療法で自分の「問題」に気づかせる

私は、脳と心について、勉強を続けています。心は体に密接につながっています。
外科的な手術、療法で治る病気もありますが、それだけでは不十分なこともある。
このことについては、何度もこの本に書いてきました。
そして、心理療法を併用して、治療にあたることも多くなってきました。この本の中でも何度かとりあげていますので、細かなことは省きますが、心理療法とは、とりもなおさず患者さんの心の奥深くに入っていくものです。

よく誤解されるのですが、心理学と心理療法は、以て非なるもの。まったく別のジャンルに属します。
心理学は、例えば、日本人には眼鏡をかけている人が多く、胴長で短足。勤勉で実直な人が多い、というように、全体からある共通項を探し出そうという学問です。
心理療法はまったく異なります。1000人いると1000人の心は、それぞれ違います。
そこで、ある人の心の状態を発見し、その人にあった療法で心の中にアプローチしていくものです。
現在、心理療法の手法は250ほどあるといわれています。
その中でも私はおもに「交流分析」という手法を用いています。
「交流分析」というのは、本当の自分のストレスに気付いてもらう方法です。
よく、「最近、ストレスがたまっちゃっていやになる」などという人がいますが、そのようなストレスは自分が知らないうちに解消できるものです。
問題なのが、自分にしかない、しかも、自分ではわからない、気付かないストレスなのです。それがわかると、解決の道の半分以上が発見できます。
まず、医師と患者さんがそれに「気付く」というところからスタートするのが、私の用いている「交流分析」なのです。

正しく、しかも積極的に心をコントロールしていくこと。これが、心理療法。
これを悪用するとマインド・コントロールになってしまいます。
先ほど、現代人の心は揺らいでいるといいました。このことはとりもなおさず、さらに正しく、強い心を取り戻すチャンスでもあるのです。
そして未知のパワーを秘めた「心」をうまく活用する。これこそが21世紀の医学の、もう一つの重要なテーマでもあると、私は考えています。

これだけ知れば自分の病気がわかる

よい医者はていねいに自分のことを教えてくれる

どこの医者が信頼できて、どこの医者が信頼できないか、私を含めて多くの医者は、このことをよく知っています。
一体、どのように判断しているのでしょうか。

日本にはよく「医は仁術なり」として、人柄を求めたり、「赤ひげ先生」を礼賛する風潮があります。
これは、ある意味ではよいことですが、ある意味ではまったく無意味な判断基準です。
もし、人情家の「赤ひげ先生」がまったく時代遅れの知識しか持ち合わせていなかったら、これは話になりません。
山本周五郎氏の描いた『赤ひげ先生』は、人情家だけではなく、アップ・トゥー・デートな知識を持ち合わせた素晴らしい医者でしたが、一般的には、「医は仁術なり」的な、あるいは「赤ひげ先生」的なイメージをどうしても先行させがちになるようです。
いずれにせよ、よい医者を選ぶのは、なかなか困難な作業です。
正確な医学知識を持った、科学者あるいは技術者の医師を求めるのか、あるいは、人情家で面倒見のよい医師を求めるのか、あるいは、その両方を求めるのか。
もし、科学者と人情家の両方を兼ね備えている医師に出会ったとしても、その医師としっくりいくとは限りません。なにしろ医師も患者さんも、生身の人間なのです。

よい医師を見分ける最低の基準となるのが、インフォームド・コンセントです。
インフォームド・コンセントとは、医師が患者に対し、治療の内容、方法、意味、危険度、効果、その後の見通し、経費などについて、わかりやすく説明し同意を得ること。
これをていねいにやってくれる先生がまず、よい先生の基本です。
少なくとも、素人はだまって医者の言うことを聞きなさい、というような前時代的な医師を信用してはいけません。
しかし、説明がいくらていねいでも、病気の名前も難しいし、それがどのような種類のものなのかもわかりにくい、このようなケースはよくあるものです。
そこで、とっておきの方法をお教えしましょう。
せっかく、よい先生に出会っても、誤解を生んでしまうようでは何もなりません。

これだけ知ればあなたも医学生なみに病気がわかる

いわゆる病名は、およそ8〜9万あるといわれています。しかし、実際には1万ほど。
というのは、一つの病気にいくつもの名前がついていることが多いからです。
例えば、虫垂炎と盲腸炎は呼び名はちがっていても病気としては同一のもの。
このようなケースが多いからです。

ところで、わが国で年間100人以上がかかる病気は、1000程度といわれています。
なかでも、われわれが注意したい、ポピュラーな病気となると数は限られています。
病気は多いようでいて、だれもが気をつけなければならない病気は、以外に少ないものなのです。
しかし、これらを個別に覚えていくのは並大抵のことではありません。医学部で6年間勉強したとしても、とても無理。
そこで、みなさんに病気の種類と病名が簡単にわかる方法をお教えしましょう。この奥の手を使えば、あなたは立派な医学生です。
さて、トライしてください。

 まず、原因別に大きく分類します。
A 外傷(けが)
B 腫瘍(おでき)
C 血管障害(血管の病気)
D 感染症(バイ菌やウィルスによう病気)
E 先天性奇形(生まれつきの奇形)
F その他(変性疾患など)

 次に、場所別・機能系別に分類します。
(1) 脳神経系(脳と神経)
(2) 消化器系(胃腸)
(3) 呼吸器系(肺や気管)
(4) 肝胆膵臓系(肝臓、胆嚢、膵臓)
(5) 泌尿生殖器系(腎臓、膀胱、性器)
(6) 内分泌系(ホルモンに関する)
(7) 四肢筋肉(手足の筋肉)
(8) 循環器系(心臓や動脈、血管)

この二つのグループを組み合わせることによって、大体の病気がわかります。
要するに、どの臓器でも、病気の原因というのは限られているのです(頻度は違いますが)。複雑に考える必要はありません。
ただ、その病気が起こる頻度が異なるだけなのです。
では、さっそく当てはめてみることにしましょう。

病気を理解するための簡単な方法

Bと(1)の組み合わせの病気といえば、腫瘍と脳神経系ですから、脳腫瘍となるわけです。
逆にたどると、胃ガンは、Bの腫瘍(悪性)と(2)の消化器系の胃に起こる。
つまり、B−(2)です。
これが直腸で起これば、直腸ガンというわけです。つまり、これらの組み合わせをすべて応用すれば、病気のほとんどを知ることができます。
いま腫瘍に、括弧付きで「悪性」という文字を入れましたが、もう一歩踏み込むと病気はさらに具体的になります。せっかくですから、覚えておきましょう。

A・外傷(けが)
 T開放性かどうか(傷口が開いているかどうか)
 U骨折を伴うか、伴わないか
 V血腫を伴うか、伴わないか、など

例えばAの外傷には、骨折を伴うか伴わないか、開放性かどうかということが問題となってきます。Aの外傷が(7)の四肢筋肉に起こると、骨折。開放を伴うと大腿骨複雑骨折という病気になります。この場合"複雑"に骨折しているわけではありません。

B・腫瘍(おでき)
 T良性か悪性か
 U転移したものか、そうでないもの(原発性)か
 V範囲はどのくらいか

Bの腫瘍の場合は、良性のものか、悪性のものか、がまず第1に問題になります。
例えば、肝臓から腫瘍が見つかったとしましょう。そうすると、その腫瘍が、良性か悪性かが最初に問われます。悪性ならば肝臓ガンです。
次に、その腫瘍が肝臓でできたものか(肝細胞ガン)、あるいは、ほかから移転してきたものか(転移性肝臓ガン)。
さらに、その広がりの程度を把握して、最終的な診断にいたるわけです。

C・血管障害(血管の病気)
 T「切れた」=出血したか
 U「つまった」=梗塞したか

Cの血管障害についてみてみましょう。血管の病気は大きく分けて二つです。「切れる」か「つまる」か、つまり「切れて」出血したか、「つまって」梗塞を起こしたかということです。
この梗塞が(8)の循環器系(心臓)で発生する代表的なものが「C−(8)−梗塞」で、心筋梗塞。
これが(1)脳神経系(脳)で起これば、脳梗塞、脳血栓というわけです。
ところで、血管がつまる=梗塞を起こす大前提になるのが動脈硬化です。
血管がつまったということは、血管の内部にあたかも古いゴムホースのように水アカがたくさんたまり、同時にホース自体の弾力性が失われて硬くなっているような状況で、これが動脈硬化です。
血管がこのような状態のとき、梗塞、血栓が起こりやすくなります。
また、(1)脳神経系(脳)で、Cの血管障害(血管の病気)が起き、Tの血管が「切れて」出血した場合が、脳出血、クモ膜下出血などです。
先ほどと同じように、動脈硬化が進行し、ボロボロになった血管に、強い圧力=高い圧力が加わると、血管が「切れて」出血しやすくなるのです。また、動脈瘤があれば、血圧が正常でも出血は起こりやすくなります。

D・感染症
 T感染した原因菌は何か
 U感染の程度はどうか

感染症の場合は、感染した場所とその原因となる菌(ウイルスなど)で病名が決定されます。
例えばエイズ(AIDS=後天性免疫不全症候群)は、エイズウイルスに感染し、抵抗力がなくなったそれぞれの臓器が、異なる細菌によって感染し、症状をあらわすものです。
エイズによって、よく知られるようになったカリニ肺炎も、別段、特別な病気ではありません。(3)呼吸器系(肺)にT・カリニ原虫という原因菌(虫)が感染したものです。
ガン末期の患者さんなどでも、免疫機能が低下すれば、同じようにカリニ肺炎を起こすことがあるのです。

こうすれば病気のシステムが理解できる

さて、いかがでしょうか。病気の多くは、個別的に単独で起こるのではありません。
どのシステム系で、どのような原因で、どの臓器に、どんな影響を及ぼしているのか、前述の方法で、病気の理解は格段に深まります。
このように、病気は非常にシステマティックなもの。
こうしたことを、まず知っておきましょう。

よく、病名をお医者さんから告げられて、戸惑うことがあります。
病名を聞いても漠然としていてわからない。
これは、どんな病気なのか、さらに、この病気は治りやすいものなのか、時間がかかるものなのか。手術が必要か、薬で治るものかなどなど、不安ばかりがつのるものです。
しかし、病気のシステムを理解しているだけで、ずいぶんと違います。
万一、あなたがインフォームド・コンセントを受けることになっても、まずは大丈夫。
基礎知識はこれで十分だと、私は確信しています。


ヤブイシャドットコムについて
Copyright 2000-2010, Bush Inc. All rights reserved.