子供のこころと体 子供の心と体 子供の心とからだ 子供のこころとからだ
子供の悩みは多種多様
大人からはささいなことに見えるものでも、子供にとっては一大事。
彼らなりに深く悩んでいることが多いものです。あなたには、こんな経験はありませんか。
私の場合は、学校で、ウンチができなかったことでした。なぜって?恥ずかしかったからです。子供のころには、汚いもの、恥ずかしいものに対して、とても過剰に反応してしまう特徴があるようです。
ところがこれは、男の子だけのものであることに、あとから気付かされました。
汚いもの、恥ずかしいものに男の子以上に敏感なはずの女の子。彼女たちは、何の抵抗もなかったというのです。
というのは、女の子はトイレはオシッコもウンチも両方できてしまいます。つまり、男の子のように「あいつはウンチをするんだ」ということが、友達にはわからないわけですね。
このように、子供の悩みというのは、多様でとりとめもないもの。しかし、悩んでいる子供は確実にいるわけです。
過保護より怖い、子供への無関心
子供にもブルー・マンデイはある
前ページの結果はいかがだったでしょうか。登校拒否とは、現在、登校拒否症と呼ばれ、子供の心身症の一種と考えられています。
単になまけ者であるとか、いくじがないなどという次元のものではありません。
心の問題として、じっくりと考えてあげる必要があるのです。
チェックの1は、みなさんが子供のときに、よく経験されたのではないでしょうか。
私なんかも、、休み明けなどはとくに、お腹が痛い、頭が痛い、体がだるいなど、母に訴えたものです。ところが、昔はやさしいお母さんというのは少なかったようで、まさに尻を叩かれるようにして追い出されました。
しかたなく、重い足取りで学校に行くのですが、友達に出会ったところで、そんな気分はきれいさっぱり解消。学校が終わってからの遊びの約束をしている始末です。実に現金なものでした。
しかし、これは「登校拒否」のシグナルであることに相違はありません。「何かあるな」「何が原因かな」と、とりあえずは、思いめぐらせてみる必要があります。
「よい子」はいつも『ストレスの積立貯金』をしている
チェック3の「よい子」も重要です。結論を先に言うと登校拒否症に陥る子供の多くが、この「よい子」、いわゆる「いい子ちゃん」なのです。
「いい子ちゃん」というのは、先生や親にとっての「いい子ちゃん」です。
「こういうことをしたら先生にしかられる。しかられる自分がいけないのだ」「親の言うとおりにしないのは自分が悪いから」、いい子ちゃんはいつもそう考えます。
つまり、いい子ちゃんは、いつも自分を殺し、我慢し、無理をしながら「いい子ちゃん」を演じているわけです。これが、目に見えないストレスとなり、子どもの心に蓄積されます。
たとえていうなら、「いい子ちゃん」はいつも、『ストレスの積立貯金』をしているようなもの。そして、ストレスがどんどん貯金され、満期になると一気に爆発する。
これが、ときとして家庭内暴力や登校拒否という形になってあらわれてくるのです。
大人になって出社拒否に陥る人も、いわゆる真面目で模範的な「よいサラリーマン」に多いのです。
いずれにしても、その場しのぎの対応では、登校拒否を繰り返し、本格的な登校拒否症になりかねません。また、登校拒否は、単に子供だけの問題ではなく、大人、とくに両親の問題も示していることが多いようです。
「子供を治せ」ではなく「親を治せ」
子供のストレスからくる症状を治療する場合、私はいつも、こう考えます。
それは、「子供を治せ」ではなく「親を治せ」ということです。症状が出ているのは子供のほうですが、その原因の多くは親にあるからです。
ここでは、(1)子離れと(2)過保護という二つの面から考えてみましょう。
(1)子離れできない親が多い
子供はいとも簡単に(親がさみしくと思うくらいに)、親離れすることができます。
ところが、親のほうは、なかなか子離れができないのです。
親はいつも子供の人格を、あたかも自分の一部だと錯覚します。
もちろん、以前は生殖の過程で、自分の肉体の一部だったわけですが、比喩的ではなく、自分と同一のもの、あるいは分身とカン違いしてしまうことが多いのです。
そのため、自分の人格とのあいだに境界線を引くことを忘れてしまいます。
そうすると心理学的には興味ある現象が起こってくるのです。
それは、親のイライラやストレスが、親のほうには症状として出ないのに、子供のほうにその症状があらわれてしまう。このようなケースは多いのです。
何も、心理学を引き合いに出す必要はないかもしれません。昔からこういわれます。「子は親の鏡」である、と。
自分たちの子供に症状が出たら、まず自分のストレスをいまいちど見直す必要があります。子離れできない親に対して、子供はとても敏感なのです。
(2)少子化により過保護の傾向が増している
少子化現象が進み、ますます過保護の傾向にあります。
この過保護は、心理学的にとても怖いものなのです。
人間は、自分自身の嫌な部分を見るのを避けたがる性質を持っています。
これが度を越すと、まったく正反対の行動をとるようになります。
例えば、好きな子に対して、ついイジワルをしてしまう経験は誰にでもあると思います。
思春期の頃は恋愛感情が罪悪に感じられることがあります。
そのため、まったく逆の行動、つまりイジワルをしてしまうのです。
親は、自分の子供に対しても、ときには「憎たらしい」「頭にくる」という感情を持つのです。このような感情を極端に抑え込むとどうなるのでしょうか。
「憎たらしい」「頭にくる」と、まったく逆の行動に出てしまうのです。
もちろん、無意識ではありますが、「ベタベタ可愛がる」という行動をとります。
しかし、このように溺愛された子供は、最終的には成長ができず、自立できない大人になってしまうのです。
このことは一体何を意味しているのでしょうか。 つまり、こういえるのです。
親の持っていた"憎しみ"の対象が、現実としてできあがってしまう。嫌な部分が成長して目の前に現れる。
つまり「憎しみ」がその目的(子供をダメにする)を達成する、というわけです。
ずいぶんと怖い話ですが、このようなケースは実際に多いのです。
子離れは、子供が成人し独立するとき、と考えるのは大きな間違いです。
幼いときから、子供は目に見えない自立・独立を志向し、疑似的な独立を果たしていきます。一人でおしっこをしたり、友達と遊んだり、子供は小さな自立・独立を積み重ねていくのです。
親の側からいえば、あるときには保護し、ある部分(全体のごく一部。その小さな部分を重ねることによって成長する)に関しては距離をおいて見る、そういう工夫が必要になってきます。
子離れ、過保護と説明しましたが、もう一つ怖い症状に無関心というのがあります。
これについては、Q&Aの中に例がありますので参考にしてください。
往診実例 【親の心を治療する】
子供の悩みと親の悩みは違う
今回の往診は、背が低いということで悩んでいる小学校六年生(当時)の橘君(仮名)。
このくらいの年齢になると、ちょっとしたことで悩むことが多いのですが、まずは橘君のお便りを紹介しましょう。
「ボクは一年生から身長が低くて、下級生のほうが、ボクよりもどんどん大きくなっていきます。背の小さいお母さんに顔や性格が似ているので、ずっとこのままなのでしょうか」
可愛いお便りですが、彼にとっては真剣な悩みです。
この手紙には、お母さんからの追伸が添えられていました。
「うちの子は、昨年の夏、右の腎臓の摘出手術をして、腎臓が一つありません。
現在、サッカーチームに入っており、スポーツが大好きです。
しかし手術以降、控えさせています。腎臓が一つしかない体で、中学、高校の部活をみんなといっしょにできるのでしょうか」
さっそく、お宅に伺ってみましたが、肝心の橘君がいません。自分の部屋に引きこもって、隠れていたのです。どうやら、かなり引っ込み思案のようです。
一人では心細かったのでしょうか、橘君のお友達二人が応援(?)にかけつけてくれました。橘君は、やっと部屋から出てきてくれました。
さて、身長です。せっかくですから友達と三人で、身長を比べてみました。
A君は162cm、B君は157cm、そして橘君は137cm。
確かにこの中で、橘君はいちばん小さいようです。 しかし、よく聞いてみると、A君はクラスでいちばん、B君はその次に背が高いのだそうです。
背が伸びるために必要な栄養素とは
身長の伸びには個人差があります。橘君のお父さんは169cm、お母さんは150cm。
極端に低いわけではありません。
ちなみに私の身長は173cm。父は166cm、母は155cmでしたが、私は中学1〜2年でグンと背が伸びました。
さて、手術との関連ですが、術後1年を経過していますので関係はありません。
統計的にいうと、子供の身長は、10歳からの1年で5.0cm、11歳からの1年で5.6cm、12歳からの1年で8.6cm、13歳からの1年で8.7cm、14歳からの1年で4.5cm、15歳からの1年で2.3cm、伸びるといわれています。
橘君は10歳。137cmは、10歳のおよその平均身長といっていいでしょう。
伸びるのはこれから。心配する必要はありません。
橘君は少し好き嫌いがあるようです。トマト、ニンジン、ピーマンがダメ。
こちらのほうが問題でしょう。身長を伸ばすために必要な栄養素は、タンパク質とカルシウムです。成長期の子供の骨は、軟骨が多くなっています。
この軟骨部分が成長して、背が伸びるわけです。軟骨に必要なのが、タンパク質とカルシウム、そしてリンなど。
これらが血管を通して、しみ出すように軟骨に行き渡ります。
ところが、タンパク質で軟骨をつくる際に、野菜や果物に含まれているビタミンCの助けが必要なのです。栄養のバランスをよくとることが大切です。
子供に元気がない理由をつきとめる
お母さんの心配について、お答えします。
腎臓についていえば、橘君の場合、腎臓にバイ菌が感染(尿路感染)し、尿が外に出ることができず腎臓の中にたまってしまった状態(水腎症)だったために摘出されたものです。
残った腎臓が、まだ完全なかたちで機能していない可能性もありますが、かかりつけのお医者さんの指導に従ってください。
おそらく、徐々にスポーツをしてもいい、と許可が出るはずです。
私は、橘君とお母さんにこう話しました。
「腎臓は二つあります。一つをとってもまったく平気です。
例えば腎臓は、二つ合わせて100のパワーを持っているとします。
これが、20に落ちたときはお医者さんに診てもらわなければなりません。
しかし、橘君の場合は一つですから、50のパワーがあるわけです。
まだ、30も余力がある。そう考えてください。心配しなくても大丈夫ですよ」
二人は納得してくれたようです。
しかし、私にはどうしても気になることがあるのです。
腎臓の手術を受けたからでしょうか。どこか精神的にダメージを受けているようです。
お母さんもどことなく疲れている様子でした
お母さんの絵に隠された意外な秘密
橘君の引っ込み思案のところもそうですが、どこか自信がない、そんな印象を受けたのです。そこで、お友達も含めて、橘君に絵を書いてもらいました。
お母さんにも参加してもらいました。
心の状態が、どのように絵に出るのか、彼らの心を覗いてみたかったからです。
持参した36色の色鉛筆と、画用紙を取り出しました。
子供たちは、怪獣やサッカーの絵など、元気なものを元気に描いています。
普通の子供が普通に成長している、そんな印象を受けました。
ところが、お母さんの絵が、あまりに寂しいのです。小さな女の子が一人ぼっちで立っています。どうやら、橘君よりもお母さんの心に何かがある、私はそう直観しました。
さっそく、私はお母さんに心理療法(エンプティ・チェア)を試みることにしました。
そして、お母さんの絵に隠された意外な秘密を発見したのです。
心理療法で見つけるお母さんの不安
座布団にリラックスした状態で、お母さんに座ってもらいます。
もう一方の座布団は、私がお母さんにイメージしてもらう、"あるもの"に変化します。
さて、始めましょう。
お母さんに絵の説明をしてもらいます。
お母さん「小さな女の子が一人でいます」
私「どこにいるのですか?」
お母さん「お花畑にいます」
私「その女の子は、いまどんな気持ちなのでしょうか?」
お母さん「のんびりしたいなあ」
私「もう一つの座布団は女の子が見ている風景です。その風景に向けて何か話しかけてください」
すると、橘君のお母さんはこうささやきかけました。
お母さん「まあ、きれいなお花畑ね。のんびりしたいな」
今度はお母さんに、お花畑になってもらい、お母さんに話しかけてもらいました。
お花畑(になったお母さん)「こっちへ、いらっしゃいよ。ゆっくり横になれるフカフカの芝生もありますよ」
原因は以外に早く発見できたようです。私は言いました。
「お母さん、その芝生に横になってください。そして、のんびりとしてください」
お母さんは、"座布団の"芝生にゴロリと横になってくれました。
やはり、お母さんは疲れていたのです。のんびりとしたかったのです。
お母さんの不安と恐怖が子供に『感染』していた
心理療法を終えたあとで、私はお母さんから次のようなお話を聞くことができました。
橘君は、さか子でしかも仮死産だったそうです。
橘君は胃がねじれた状態で生まれ、それは4ヵ月で正常にもどりました。
ところが、すぐにビタミン不足で血を吐き、輸血をしました。
そのときの、お母さんの肉体的、精神的疲労は、かなりのものだったことでしょう。
橘君が3歳のとき、妹のかおりちゃんが生まれました。生まれてからすぐに小腸の異常が発見され、生後15日で2回の手術を受けました。
しかし、不幸なことに、かおりちゃんは亡くなってしまったのです。
そして昨年、橘君の手術です。橘君は妹さんのことが、頭に刻まれているのでしょう。
手術を受けると死んでしまうのではないか、そんな不安を抱いているようだ、とお母さんは言います。
そして、いまも、夜の2時ごろになると目を覚まし、眠れないこともあるのだそうです。ところが、橘君が抱く不安や恐怖は、そのままお母さんの不安と恐怖になっているのです。
いや、もっと正確に言えば、お母さんの持っている不安と恐怖が橘君に"感染"している、といえなくもありません。
いま、癒されるべきはお母さん
このように、他の人には想像がつかないハードな出産と、不安な子育て。
妹さんの手術と橘君の手術。さまざまな不安と気苦労が、お母さんを襲っていたのです。"のんびりしたい"という言葉は、これまで我慢し、誰にも言うことができなかった、お母さんの心からの叫びだったのです。ストレスは想像以上に大きかったのです。
幸い、橘君の体は、通常の生活に耐えられるものになってきています。
やがてスポーツを始めることもできるでしょう。
かおりちゃんを失ったダメージからも、徐々に回復することもできるでしょう。
そして、いま、いちばんに癒されるべきなのはお母さんなのです。
幸福なことに、橘君も元気になり、子育ても一段落。
"のんびり"することが可能な環境が、整っているのです。
お母さん、ぜひのんびりしてください。疲れたときには、誰に遠慮することなく、休息してください。橘君は、ますます元気になっていくことでしょう。気にしていた身長も、いつの日にか、お母さんを抜いて、そして、お父さんにも追いつくことでしょう。
心配はいりません。気兼ねなくのんびりしてください。そして、橘君も橘君のお父さんも、お母さんにのんびりしてもらうために、協力してください。
お母さんの心が癒されるなら、橘君は、午前2時に眠りをさまたげられる状態から、いつの日にか解放されるはずです。
そのとき、橘君にも、そしてお母さんにも、深い、心地よい、熟睡が戻ってくるはずです。
|