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[ 記憶 ]

沖縄県の座間味島の小学校。
校門を入ったところにガジュマルの木があった。
なぜかこの木が気に入りしばらく眺めいてた。

自分にも記憶に残る一本の木がある。
小学生の頃、校庭の隅に立っていた大きなポプラの木。

夏の日、生い茂った葉が校庭に大きな日陰をつくり、その下で子供たちは遊び、涼んだもの。

秋が深まると西陽に照らされたその木の葉は一枚ずつはがれそれを見送る母なる木 は校庭に長い影を曳いた。
僕たちはその影の下で季節の移ろいや、教室では教えてくれない何かを感じた。

冬、強風に木は身体をしならせ耐えていたのだろう。
だけどそんなことには、気づきもしなかった。
木は冬が終わろうとする三月、卒業生を見送り、新芽が息吹く四月には新たな一年生を眺めていたのだろう。

そのポプラの木を三十年後に訪れたとき、姿は跡形もなく消えていた。

今は、記憶の中にしかその木は存在しない。
人は誰かに愛されているとき、相手の愛に気がつかないことがある。そして、あとで愛されていたと気づいたとき、その相手はもはや身近には存在しないこと がある。

だけど、愛されていたんだという事実に、人の心は少しの後悔と幸福感に包まれる。


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