一言で言えば、ヨットざんまいだったね。女気なんてまったくなし。もともと慈恵医大は野郎ばっかり。勉強なんて試験前2ヶ月だけだね、やったのなんて。
といっても、1ヶ月はノートとかの資料集めだったけど。そうそう、当時コピ−なんてなかたから。ひたすらガリ版さ(笑)。
しかも、ヨットを体育会系でバリバリやっていたからね。そうだね、1年間のうちの60〜70日くらいは合宿で葉山にこもりっきりだったね。医学部の大会なんてのに出たりしていたね。
大学4年の時の大会で、個人の部で銅メダルとったときは本当にうれしかったなあ。当時部員が少なくなったりしていた時だったからなお更ね。僕は勉強はしなかったけど、ヨットを通 して“組織のあり方というものを学んだよ。
医学部に入るまでって、ある意味猛烈な競争社会だったから ヨット部に入ってそれまでの考え方とか修正された気がする。
慈恵医大の創設者である高木兼寛が“病気を診ずして病人をみよ”って言葉を残しているけど、僕が大学6年間で学んだことはコレに集約されるかな。 |