こちらのコラムは1995年より『ばんぶう』(日本医療企画)に掲載されたものです。
やぶ医者どっと混む |
2000 |
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コンピューター関係の友人と会った。どこぞの総理大臣ではないが、ITが21世紀のキーワードになりそうだ。
彼曰く、日本のITに関するインフラは、すでにアメリカはもとより、韓国を始めとするアジア諸国にもに大きく水を開けられてしまっている状況との事。
すでにお隣の韓国では、ISDNは当たり前で次世代に移りつつある。一方、我が国の現状たるや、惨澹たるものである。一体、ISDNがどれくらい普及しているのか。恐らく、もと国営企業の在庫がさばけない限り、ISDNの次世代には到底移らないであろう。まして、光ファイバーなどは、そのメートル当たりの設置コストがアメリカの4倍となると、前途はますます暗いと言わざるを得ない。
ITの役割がどの程度なのかは不明だが、少なくともそこに多くの資本が集まっている事は確かである。我が国が資本主義を貫く為には、そこに活路を見出すしかないだろう。
携帯電話のいわゆるi-modeはここ数年で驚くべき進歩を遂げた。数年後にはテレビ並みの動画配信が普及するであろうとのこと。かつて、映画がテレビに取って代わられた。それと同じ事が起きようとしている。
衛星放送やケーブルテレビは我が国では習慣とならなかった。しかるに、携帯電話はもはや癖とも言うべき習慣となった。多くの人がケーブルテレビにお金を出し渋っても、携帯電話にはお金を払う習慣がある。習慣は変えられない。
活路はここにあるような気がする。
テレビの地上波は、この40年で我が国の習慣となった。はたして、i-modeが習慣となるのにどれくらいの時間がかかるだろうか。
ITの発達は国境をなくす。我々の親の世代は戦争に負け、自信と誇りをなくし、そしてそれを引き継いだ団塊の世代が戦後の復興を成し遂げた。しかし、そのひずみが時代を崩壊させているのも事実である。
国旗を捨て、日本人としての自覚を捨てることを、さも正しいとする似非ヒューマニズムは、国境で守られた環境のみで成立する、いわばマザコン的発想である。もはや国境が存在しないIT世界でのアイデンティーの確立は必要不可欠な課題であろう。
もとより、民族主義が問題を解決した例はない。むしろ、問題を引き起こす事の方が多い。一方、アイデンティーの基本は家族であり、その集合が国家である。その全体を否定して、自分達だけ良ければと言う利己主義を貫いたつけが現在のひずみを作った。個人主義と自己チュー主義との履き違えが原因である。
21世紀初頭の日本は、団塊の世代とポスト団塊の世代間抗争がテーマとなるだろう。いわゆる構造疲労を起こした組織の解体と新生がテーマである。
バブル崩壊から10年、日本は様々なリストラを行ってきた。しかし、その本体は組織の保持を目的としたいわゆるリストラの本来の理念とは正反対の方向に動いてきた。
マスコミもしかり。医療もしかり。
という訳で、遅れ馳せながらホームページを作った。ごまめの歯ぎしりと終わるか、貧者の核兵器となるか・・…。
http://www.yabuisha.com
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