こちらのコラムは1995年より『ばんぶう』(日本医療企画)に掲載されたものです。
ステレオタイプ |
1995 |
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ステレオタイプが多いなあ。どういうわけか最近、マスコミ関係の仕事がどんどんと増えてきた私の感想だ。ステレオタイプとは紋切り型とか常套的な形式ということ。
彼らは取材なり、インタビューなりに来る時、必ずと言っていいほど結論を持ってやって来ている。そして、その結論とはいわゆる御都合主義によって作り上げられたものである事が多い。先日も無症候性脳梗塞に関して取材を受けた。構成はいたって簡単、最近、MRIによっていわゆる無症候性の脳梗塞が話題になってきている。無症候性と言うくらいだからいずれは脳梗塞に移行するであろう。これは大変であるから脳梗塞の原因の動脈硬化を防がなくてはならない。そのためにはビタミンEの入った食物を食べれば良い。ビタミンEの多く含んだ食物はナッツで、一日最低十粒食べましょう。という一見納得のいく理論である。
さて、賢明な読者諸氏はこの風が吹けば桶屋が式の理論の誤りにはもう既にお気付きと思う。まず、無症候性の脳梗塞は新しい概念でその予後はわかっていない。百歩譲って、今後の脳梗塞への移行を懸念して予防策をとる事は正しいとしても、単純にビタミンEを採る事が正しいとするのは論理の飛躍も甚しい。よしんばとることが正しいとしても、ナッツに含まれる脂肪分の悪影響は度外視されている。ナッツばかり食べていれば、その為に却って動脈硬化が進行してしまうのは自明の理である。
赤ん坊はおっぱいの出の良し悪しでお母さん全体を判断しようとする。つまり、出のよいおっぱいを持つお母さんは良いお母さん、出の悪いおっぱいを持つお母さんは悪いお母さんと判断する。しかし、お母さん自体はどちらも素晴らしいお母さんである。これは心理学の例え話だが、精神的に未熟なものは物事の一面を見て全体を判断する傾向があるようだ。
どうやら、くだんのディレクター氏は物事の価値観、事の善悪というものを一面より全体を判断する傾向が有るらしい。。あるいは、そういった結論を求める視聴者を意識して番組を作っているらしい。無症候性脳梗塞は恐い、ビタミンEは身体に良いという一面的なものの見方しかできていないようだ。
これはなにも赤ん坊やいわゆる業界人に限った事ではなく、我々もよく経験する事だ。特に現在の教育の中では顕著で、例えば偏差値がそれである。「百点とったからお前は可愛い。」「零点とったからお前は可愛くない。」単に試験の点数のみで全体を判断しようとしてしまっている。「可愛いお前が百点とった。可愛いお前が零点とった。」単にそれだけの事である。単にそれだけの事で全体を判断しようとするから話がややこしくなる。せめて、患者さんの診断治療だけはステレオタイプにはみたくないものだ。
心理学に両価性(アンビバレンス)という言葉がある。ひとつの個体の中に相反する二つの価値観が同居することをいう。たとえば、「僕は彼女とキスをしたい。でも、恥ずかしい。」これは文章としては健全であるが、心理学的観点から見るとはなはだ不健全、不健康である。「でも」という言葉でつなぐことにより「恥ずかしい」ということが良くない事となってしまう、あるいは、「キスをしたい。」ということを否定してしまうからだ。本来、この相反する二つの感情はひとつの個体の中に同時に存在して良く、「僕は彼女とキスをしたい。そして、恥ずかしい。」と言い換える方が心理学的には楽になる。(勿論日本語としては変だが)この場合、「キスをしたい」ことと「恥ずかしい」ことが同等の価値を持った事となる。このことを両価性という。
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