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下町で診る
第3回 コバルトブルーの涙



上田さん(仮名)は、沖縄から東京見物のため娘さんの所にやってきていた。会社から帰宅した娘さんが目にしたのは、居間で倒れていた上田さんの姿だった。

あわてて娘さんは、上田さんを病院に連れてきた。CTスキャンの画像には大きな脳腫瘍が映っていた。悪性だった。あと半年?せいぜい1年余り?医療の限界だった。

手術後の上田さんは、僕らの顔を見るたびにこう言った。

「沖縄のお墓を先生は知ってるかね。亀甲墓(カメヌクー)といって、墓の前にはちゃんと門もあるし、座敷だってある。俺ももうすぐそこに帰って、子どもたちや孫たちがそこで宴会するのを見守るのさ」

「何言ってるんですか。早く元気になって沖縄に帰らないとね」

「ああ、せめて生きてるうちに、沖縄に帰りたいねえ」

残された時間がわずかなら、ふるさとで過ごさせてあげたい。僕の琴線がむくむくと動き出した。でも、空港の羽田までどうやって移動する?民間の救急車もなく、寝台付の車も限られていた。

打つ手もなく、僕は病院のそばの消防署へと足を運び、事情を話した。

「残念ながら救急車の予約は出来ません。」案の定の答えだった。

初老の救急隊長さんは続けた。

「で、いつなんですかその移送は?」

「え?」

「ですから、いつなんですか?」

「○月○日ですが」

「その当日に要請があれば、羽田まで救急患者として移送することはできますよ。我々も仕事ですからね。朝8時に電話をいただけますか……」

隊長はそう言ってウインクした。難題は解決しそうだ……。

当日、予定通り!救急車は我々を羽田へと運んでくれた。救急車はジャンボ機に横付けされ、上田さんはリフトで飛行機の中へと運ばれた。

隊長は上田さんの家族に一礼すると、振り返って僕のほうに近寄った。

「よろしくお願いします」「わかりました」

うとうとしていた上田さんの意識が戻ってきたのは沖縄に着く1時間ほど前だった。窓のブラインドを開けてくれと上田さんが言った。すっと上げると、まぶしい光が機内に差し込んだ。空から見る沖縄の海はコバルトブルーに輝いていた。上田さんの目に青い涙が光っていた。

上田さんはその後1年半、最期のときを沖縄で過ごし、カメヌクーに還っていった。

僕が大学病院にいたころ。忘れられない体験を、今もふっと思い出す。

※引用 アイユ3月号 2009年(平成21年)3月15日発行 (C) 財団法人 人権教育啓発推進センター




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