不安とはいったい何でしょうか。
不安とは過去の自分の生きてきた経過から未来を想定し、その未来に描いた経路と現実との差をいいます。
ややこしいいですね。簡単にしましょう。
まず、右上がりの直線を引いてみてください。そして、左端を過去、右端を未来としてください。真ん中は現在ですね。
ところが、人生なんてのは予定通りには生きません。その現実との差が不安になるんですね。
フロイトによれば、人生というものは快楽原理に従うものとされました。つまり、気持ちよいほうへと向かおうとするものだということですね。気持ちよい方向へ向かわないと不安が出てくることになります。当時としては画期的な意味合いがありました。19世紀が終わり、20世紀が始まったあたりの研究ですからね。
ところが、そうはいってもと異論を唱える人が出てきました。
アドラーさんといいます。
彼は権力欲によって左右されるとしました。いいかえれば、社会的に人間は認められたいということです。社会的にあるいは家庭内で認められないと不安になるわけです。
前者は生理的欲求、後者は社会的欲求ということになります。
どちらが正しいというわけではなく、なるほどそういう一面があるなと思っていればいいと思います。
ところが、ユダヤ人の精神科医であるフランクルさんは彼自身の収容所生活からまた別の理論を唱えました。「人生の意味」を捉えるということです。「(人生の)意味への意思」によって人間は生きていくというものです。
「自分を待ってくれている」仕事や人がいるということをしっかりと自覚したひとはどんな環境におかれても、自ら命を絶つことはない。この事実から、彼は「意味への意思」によって人間はもっとも深く支配されていると考えたのです。
人間はもともと自分の人生をできる限り意味で満たしたいと憧れます。その憧れによって精神が吹き込まれ、生きがいが得られます。
意味への意思とは生きるのは何のためかとか、生きるのは何の目的かとかを追求するということです。
ですから、あなたの悩んでいることはごくごく当たり前に出現したテーマです。
ところが、多くの方はそれがどうしても解決できずに不安になったり、悩んだりするんですね。
通常、われわれは自分を中心として人生の意味を問い、人生や社会が自分に何かをしてくれることを期待します。自己中心から世界を見るというやり方です。
ところが、フランクルさんが体験した収容所のような絶望的な環境では、そのような見方では、耐えることができません。期待すべきものは何もなく、ただ絶望だけがあるのですから。
でも、人は生き続けねばなりません。
そこで、フランクルさんは思考のコペルニクス的転換が必要だといいます。
自己中心的に人生に何かを期待するのではなく、「人生はわれわれから何を期待しているのか」という観点から見なければ救われないというのです。
自己から人生を問うのではなく、人生から自己を問わなくてはならないのです。
われわれの生きていること自体「問われている」ことで、生きていくことは「答えること」にほかならないのです。
そのためには、「学ぶ」ことが必要です。本を読みなさい。あなたはいったいこの質問を僕に出す前にどれくらいの本を読みましたか。
書物によりわれわれはその著者の人生を慮ることができます。その著者がどういうふうに彼の彼女の人生に答えていったかを知ることができます。本が苦手ならば映画でもいいですよ。
「千と千尋の神隠し」あの主人公の女の子が、どうやって成長したか、どうやって意味を見出したか。
話しは少しずれますが、人間は平等ではないんです。足の速い奴もいれば遅い奴もいます。頭のいい奴もいれば悪いやつもいます。美人もいれば、ブスもいます。
ただし、その人生の意味を答えるチャンスにおいてはすべての人は平等です。そこのところをみんな勘違いしています。すべての人がお手手つないでゴールインみたいな教育の弊害ですね。それこそ不公平なのです。
僕の敬愛する故今東光和尚に言わせれば、
「大馬鹿野郎。毛が生えたぐらいで、人生がどうのこうのとぬかすんじゃねえ。俺のとこにきてよう、しばらく愛人でもやってろ。そうすりゃあお前もちったあいい女になるからよ。人生に対する不安なんて口にしなくなるよ」
なんてことになるかもしれませんね。
最も、こういう言い方をしたとたんに「セクハラ」だの「人権」だのといわれますから・・・こういった本当の意味でのやさしさを持った人が出てきづらくなりましたね。
だから、あなたの言うような悩みを持ったり、集団で自殺するような人すら出てくるんでしょうね。
ともかく、本を読みなさい。芸術に触れなさい。それからでも十分間に合います、悩むのには。
どんな人生にも意味があるんです。そして、その答えを見つけるすべを簡単に得ようとするから駄目なのです。狭き門より入れということですね。
最後にフランクルさんの「夜と霧」(池田香代子訳、みすず書房)から
『わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とは何かを常に決定する存在だ。人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ』
では、がんばって。
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